JCURRENT HOLISM

Twitter     オールト雲  hatenablog 非局在

ホーリズム(Holism)とは、ある系(システム)全体は、それの部分の算術的総和以上のものである、とする考えのことである。 あるいは、全体を部分や要素に還元することはできない、とする立場である。( from Wikipedia

これは何を意味しているのか? 思いかえせば数年前に書いた記事

マイケルサンデルの話しをしよう  +++ アテナイの鼓動 +++

で挙げた人も含めた自然の『性質』と深く関わるものであり この概念をどう発展まとめるべきか思案のしどころである

そんなときにみたのがバイオセントリズムという宇宙観である

まさにこれはホーリズムがいわんとしている世界観を一気に証明してしまう理論であるといえるだろう これを日本人に解りやすく説明した エハンデラヴィの功績は大きいといえるだろう

しかし今の日本人でどれくらいの人が彼の価値をわかるだろうか?    2020,1,14


以下の文は2年以上前に書いた記事となる

 我々が感じている この現象世界 実は理屈で完全に割り切れるものなど何ひとつないのではないだろうか?・・・
最近はもっぱらそのような予観が脳裏をはしる
稀に原因結果の法則さえ曖昧に感じるときがある

ただ己を超えた視野を考慮するときみえてくるものがある

現象宇宙とは あらゆる『性質』の表現の場だ

さてここで この『性質』を英訳すると何だろうか?

なんとそれは nature

英語では 性質 と 自然 が同一の単語になるわけだ

日本人の感覚では これは書いて文字の如し 意味あいがかなり違っている

https://dictionary.goo.ne.jp/je/40234/meaning/m0u/

みての通り英語では 性質という意味合いは 各種単語に分散された形で内在されていて決して「nature」1つにまとまっているわけではない

このあたりを考察するとき 我々はまず言語により思想信条のメカニズムがパズルのように散乱されていることがみてとれるといえるだろう

したがって人類が言葉をつかっている間は 争いや葛藤がなくなるはずがないといえるだろう

Twitter  オールト雲

それなら書き続けてやるぜ!

上のようなことが現実なら いっそ人と人は言葉など使わずイメージのやり取りでコミュニケーションしたほうが遥かに能率的といえるのだろう しかしそのようなことは現在ではまだ不可能といえる
従って 人はほんとに自分の主義主張を人にわからせたい場合 現在でも それでも尚言葉で書き続けるしかないとなる


言葉を発すること これ即ち政治である

現代社会において 各業界で実績をつんで有名人になった人達の多くはなぜに政治家になるのだろうか? 特に男性は人生の完成形を政治という舞台で表現することを多かれ少なかれ夢みている たとえ政治家は無理でも社長など目指す心根はそうだといえる

いつもおもうのは、それが意味するものは何だろうか? なぜに男性は自分の人生の最終仕上げを政治という舞台で花さかせようとするのだろうか?

それは 一介の職人が最後には会社というものをつくる成り行きも同じだとみてとれる

 政治や会社というもので自分の存在価値を表現することは もしそれが悪どいものや イカサマでなければ これすなわち自分が主張するところの価値観を人と共有したい意志の現れ以外の何ものでもないだろう

つまり人は個性あり その個性の発露事態 最初からそれは政治なのではないだろうか

 もっとも本質的なところで どっかに自分の個性が他人に理解されてこそ生の価値有りという思考があるからそのような野心にたどり着くのであり それは極限的に微分積分していくと すでに言葉や自分の意志を発露すること事態政治への意志の現れといえる

人は個性をもつが故に その個性にとってより快適に生きれる環境を好み自分の行動を決めている もうすでにその行為事態が政治への行動といえるのではないだろうか?

それを政治と呼ぶか 経営とよぶか 音楽と呼ぶか の違いでしかない

もちろんこれらは超極論であり 中には「自分は人を仕切りたいとなど毛頭おもわないどころか 指図を受けて生きていたい」という人もいることは重々承知だ

 しかしそれさえも そのような「性質」というものであり 前提条件の上で成り立つ思考といえるだろう

そしてこの 人の個性というものは 力ずくで変化させることはできるのだろうか?

自分は この個性の発露というものの方向性が 自然状態において全体的に偏りがあるのだろうか? といつも考えている

40歳から50代の人を無作為に1万人選出して それらの人の内面の趣向性を厳密に計ることができたなら おそらくそれは非常に均一に分布しているのではないだろうか? この内面の趣向性の均一分布こそが ほんとの意味での健全な社会構成をなしえる要素であり 生物である人間の超自然的社会意志といえるのではないか? とおもうのだがいかがだろうか?
但しここにあげている事例は 人それぞれに人工的に書き込まれてしまった洗脳的なプログラムを全て排除した上でのことだ
つまり 内面から沸き起こる 趣向性は 生物本来の社会集団一員としての隠された責務を潜在意識に暗在的に持ち備えながら生まれてくるのではないだろうか?と予感するのである つまり人類や国家にとって 自然状態で生まれてくる人々の内面の趣向性は その社会構成を適正ならしめる自然の叡智が内面の趣向性の分布に自然に現れているのではないだろうか? とおもうのである

 その全体をみるとき内面性質のばらつき=ratioこそ種の存続の叡智が現れているとみるべきであり そこにこそ生物としての自然の叡智が隠れているはずである

つまりそれは 研究されてしかるべき内容であり もしこれが適正ならば 現在の学歴社会というものは一度完全に無くす必要があるだろう

所詮は その生まれもった適正や特性に比べれば人工的に後から作られた性質や思い込みは 人類や国家にとって邪魔であり 長い目でみればマイナスであり大きな停滞を生む元になるのといえるのではないだろうか?

 例えば ほんとに薬に対して興味が尽きない人が薬剤師になるのと ただただ将来の名誉や安定のために薬剤師になるのとでは 人類全てあるいは国家視点でみた場合 それは致命的な損失であり 人類や国家の進化を大幅におくらせるだけのものでしかないといえるだろう 科学や形而上学で判断するからわからないだけで 芸術を考えればわかることは 音楽にまるで関心がない人と生まれて間もなく音楽に多大な反応を示す人では 明らかに違うように他でもこれは寸分の狂いもなくいえることではないだろうか?

 だからといってゆとり教育みたいなことがいいたいのではないのである その適正を計るテストと言う名パラメーターを本質から見直す必要があるといえる

なぜかといえば ただひたすらじっとして記憶箱をこじ開けるこの作業事態にもうすでに ひとつの特性のみを優先的にとりあげるフィルターになっているからだ

この作業事態がすでにひとつの特性を超優位に押し上げてしまうといいたいのである

 このような作業による評価は決して ほんとの智慧や知恵を評価するどころか逆にただ単に本物の知恵や智慧また思考を発揮する人を非常に局所的な見解で投げ捨てる行為といえるだろう

 その大きな理由のひとつが内面から沸き起こる個性と智慧や知恵というのは非常に密接であり不可分のものだからである

 自分が昔からおもっているこの『ペーパーテスト』という名の計量の仕方は どうみたてても3割り程度の役目しか果たしていないというのが正直におもうところであり このような仕様が人類や国家にとって損失になることの方が多いことは 人のもっともっと根源的な観察から簡単にみてとれることだといいたいわけである


 さらにこのペーパーテストというものの弊害が幾重にもあることは そのテストを受けるまさにその時のために 数年にわたりただただ机の上でじっと勉強という名の知識を詰め込む様は滑稽であり そのような地味な特性だけを猛烈に買いかぶり それが故にそのような特性の人だけが社会を牽引するエリート相にはびこることになるのである

 もはや長年そのような特性だけにどっぷりつかった人には それ以外はみることができないといえるだろうし そこに健全な目で社会を見通せる認識力が残っているかどうか果たして疑問といえるだろう